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■ ベル食品株式会社営業企画部長 萩原里美さん 北海道の農産物に付加価値をつけて、どこまで道産でできるか追求したい |
| 「お金を稼いで北海道に持って帰る。それが、東京での営業の使命だと思っていました」。新任直後から、関東圏で営業を担当したベル食品株式会社営業企画部長の萩原里美さん。当時は、まだ知名度の低い会社の商品をもって、売り歩く時にそんな思いが自分を支えたという。 今後も「北海道の農産物に付加価値をつけて、どこまで道産でできるか追求したい」と言い切ってくれた。おろししゃぶしゃぶのタレの大根は100パーセントが道産だ。タマネギは貯蔵技術が発達して現在、ほとんど道内産。さらに100パーセントを目指したいとしている。 家庭用の調味料からスタートしたが、現在は年商41億円の8割がラーメンのスープなどの小袋関連商品。そして、全体の7割が、業務用というシェアになっている。また、道外への販売は売り上げの35パーセントを超えた。私たちがよく知っているナショナルブランドの食品の調味は、実はベル食品だったなんてことがありそうだ。国内食品業界の基礎を担う企業だとは知らなかった。 戦後の栄養不足のなか、北海道大学農学部出身の研究者たちが立ち上がって、ベル食品(前身の北共化学)を作ったのが1947(昭和22)年。食品に関わる法律が目まぐるしく変わる中で苦労しながら1954(昭和29)年、家庭用として先駆的なラーメンスープのもと「華味(かみ)」、1956(昭和31)年「成吉思汗のたれ」を開発。現在でもベル食品を語るうえで欠かせない商品が草創期に完成している。 生産の人員が多いのは当然だが、ベル食品は商品開発と品質管理のスタッフが極端に多い。開発スタッフは、6,000種を超す素材の産地、生産者を確認。アレルゲンの調査などを丁寧に行い、生産計画と綿密にすり合わせた、素材の鮮度管理をしている。例えば、同じしょうゆでも、時間がたっているとか、鉄の容器に入っていたため変化したなど、鼻でかぎ分けるなんてことは序の口という。数値で出ない違いをつかむことが開発にも商品管理にも重要なようだ。道内から有能な人材が集まる札幌だからこそ成り立つ人材の構成なのかもしれない。「もちろん、郊外に出て、安い土地に工場を建てることも考えましたが、土地は安くても、人材が少ないところでの商品開発、製造、生産管理は難しいということになります」。食品の表示、原産地、アレルゲン、農薬、添加物など、食品を取り巻く複雑な情勢に対応しながら、「新しい味」と「変わらない味」を供給することは、やはり人材をよりどころにするところが大きいのだろう。 「事務所はいつになっても借り住まいですね。工場の都合でどんどん移動します」と萩原さんは笑う。地道に、発展してきたベル食品の社屋は、継ぎ足し。周辺に工場用地を買い足すことができれば、増築。事務所はその都度、工場の都合にあわせて移動してきたという。無理をせず、商品と生産に携わる人材を何よりも優先してきた、社風がうかがえる。 牛、鶏と相次いで、消費者の不安を呼び起こす問題があり、羊の肉が評価されるなか、生産国も、エサを工夫するなどして、日本人の好まない肉臭を消すなど、良質の入荷が増えた。これらを背景にジンギスカンのブームが起こる。前年比を出すこと自体に意味がないほど、対数的に東京での売り上げが伸びたのは「成吉思汗のたれ」。地道に作り続けたものに大きなチャンスが来た。何よりも嬉しかったのは、店舗を新たに出店するとき、アドバイザーとして入るビール製造各社の担当者が、北海道で研修した時に食べた味を覚えていて「タレは、ベルでしょう」と札幌の会社をしっかり勧めてくれたことだったという。 (2006年11月16日・杉山幹夫)
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タレントの大泉洋さんとともに開発した、「本日のスープカレー」はこのカテゴリーの中で他社を抑えてダントツの売り上げだそうだ。「美味しいスープカレーつくってほしいなあ」と大泉さん本人からの要請を受けただけでなく、彼が半年間、週に一回、ベルの本社に通い、本当に自分でプロデュースをしたのだそうだ。「まだそのときは忙しくなかったかな」と笑うが、ベル食品の開発スタッフが本気でサポートしたことは言うまでもない。 |