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三島木工 三島俊樹さん 受け継ぐ、職人の技 |
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| 作業場のサッシ戸を開けて足を踏み入れると、心地よい木の香りが鼻孔をくすぐる。無造作に置かれているいろいろな木は、乾燥のためにもう二十年以上もそこにあるものもある。急な階段を登って二階に上がると、ごろんと置かれた直しかけの家具や、おびただしい工具類。そして、木屑にまみれた職人さんがいつも笑顔で迎えてくれるのだ。 三島俊樹さん。昭和19年、夕張生まれ。父は炭坑の係員だった。高校は成績優秀者が行くもの、体力に自信もなく炭坑の肉体労働も無理、小さいころから物を作るのが好きだった小柄な少年は、中学を出たらどこかで働くものと決めていた。修学旅行で見た熊の木彫り職人になりたかった。卒業を控えて、職安の職員との面接で希望を告げると、「近くにそんな仕事はない」と言われた。 工場の屋根裏部屋での共同生活。2年間は毎日が掃除、配達の雑用の日々だった。一切の口答えが許されない徒弟制度の世界。工場の裏には線路が通り、夜、汽車の窓から漏れる明かりを見るのが切なかった。これに乗れば帰れるのかと、14歳の少年は外に置かれた材木のすき間に隠れよく泣いた。 夕張に戻って独立しろという父親のすすめに、「まだ一人前じゃない」との思いが強かった。札幌の椅子張り職人の元に移り、修行を続けた。コイルのバネを何本もつないでクッションの高さを調整する。頼りになるのは自分の手の感覚だけだった。職人の奥深さを改めて知った。 筆者も古い家具が好きだ。古道具屋で見つけた家具を、ずいぶんここに持ち込んだ。いくらガタがきているように見えても、ここに来ればきちんとよみがえるのを知っているから、どんなものでも安心して買うことができた。条件はただ一つ。無垢材であること。 三島さんの技術を受け継ぐ後継者はいない。「教えても、この仕事じゃ食っていけないからねえ」と語る。古くなったからと、捨てられる木製品を見るのは、職人として心が痛む。「うなるような技が見える家具もあったねえ」と、ぼそりと語る。 (2005年11月30日・吉村卓也) ■ 有限会社 三島木工 |
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